日本アニメ界の巨匠である細田守監督と深海誠監督の選択に対する表現の違いについて紹介したいと思います。あくまで私の勝手な解釈であることを前提に読んで下さい。
両監督の選択に対する違いを見ていく上で、似ているシーンで比較するとわかりやすいと思います。ここでは、「サマーウォーズ」と「君の名は」の終盤のシーンで考えていきたいと思います。
細田監督の「サマーウォーズ」では、落下してくる人工衛星に対して、人工衛星の落下地点を変更することで命を守りました。
一方で、深海監督の「君の名は」では、隕石が街に落下しますが、その落下地点から避難することで命を守りました。
一見、人工衛星と隕石の違い以外同じように感じるかもしれませんが、選択の視点から見ると大きく異なります。
「サマーウォーズ」では、外的な状況を変えて自らの運命を変えようとしていますが、「君の名は」では、自分自身の行動のみ変えて、隕石が街に落ちるという外的状況は変えていません。どの選択肢が正解なのかを描いているのが細田監督の作品で、運命は変えられないけど、それに対してどのように振る舞うのかを描いているのかが深海監督の作品です。
実際に細田守監督の作品には、2択を表現するようなシーンが多く存在しています。一方、深海誠監督作品では、電車がよく登場していますが、それは電車は線路の上しか走ることができず、決められた路線(運命)でどう振る舞うのかを表現しているのではないかと思います。
私は、深海誠監督の選択の考え方に共感しています。運命は変えられないかもしれないけど、その運命に対してどのように振る舞うのかは自分自身の考え方次第で変えることができるからです。
最後に、今年公開された新海誠監督作品の「天気の子」の主題歌である「グランドエスケープ」の歌詞の一部を紹介してこのブログを締めたいと思います。
"夢に僕らの帆を張って、来るべき日のために夜を越え、いざ期待だけ満タンであとはどうにかなるさと肩を組んだ"