「自由」の考察

「自由」とは何かについて色々な側面から考察していきます。

Anything goes

今回は、"Anything goes"という言葉について考えていきます。

"Anything goes"とは、「なんでもあり(なんでもかまわない)」という意味で、ファイヤアーベントという哲学者の言葉です。

ファイヤアーベントは科学こそ絶対的なもので、宗教や占いなどの非科学的ものを批判する風潮に疑問を投げかけています。

科学的根拠(エビデンス)が重視される現代社会では、感覚的にいいと思うこと(非科学)は信用されません。しかし、科学は帰納法を用いた方法の一つに過ぎず絶対的な存在ではないのです。帰納法とは、個別から法則を導くものです。例えば、世界中の白鳥を観測した時に全て白色だったので、「白鳥は白色である」という法則が導き出せます。しかし、黒い白鳥が存在することがわかったら、この法則は成り立たなくなってしまいます。私たちが信じている科学は過去の出来事を保証してくれるものですが、未来まで保証してくれるものではありません。

私たちの生活にも非科学的であるものを信じていることが多くあります。例えば、幽霊の存在は科学的に存在が証明されていませんが、多くの人が幽霊を怖がります。また、占いも非科学的ですが、科学的な説明よりも占いを信じる人がいます。アメリカでは、人類の誕生は聖書の「創世記」に書かれているように神が作ったと信じている人が多く、ダーウィンの「進化論」を学校で習わないところもあります。創世記に書かれている内容は非科学的です。しかし、科学的じゃないからといって無理やり進化論を信じるように強要してもいいのでしょうか。

時々、芸能人がある宗教団体に所属し洗脳されたという話を聞きますが、私たちが非科学的なものを批判して排除しようとするならば、科学教という宗教に洗脳されている可能性があります。科学教に洗脳されると、科学こそが全てであり、それ以外のものを排除することに疑問を持ちません。そのため、非科学的な考えを持つ人を批判してもそれを悪いことだとは思わないのです。

ファイヤアーベントは科学を批判しているように思うかもしれませんが、決してそうではありません。彼が言いたいことは、科学という1つの方法にとらわれていては自由ではないということです。私がこうしてブログを書けるのも科学の賜物であり、日々の生活は科学なしでは成り立ちません。科学と非科学に優劣をつけるのではなく、同列のものとして考えて、時と場合により非科学的な考え方も取り入れるという自由な思考が大切です。"Anything goes"は、そのことを気づかせてくれます。