「自由」の考察

「自由」とは何かについて色々な側面から考察していきます。

るろうに剣心 生と死の「選択」について

るろうに剣心は1994年から1999年に週刊少年ジャンプで連載された漫画です。

1996年にはアニメ化もされています。

そのアニメの中で特に印象に残っているシーンがあり、そのことについて書いていきたいと思います。

 

師匠の比古清十郎から奥義伝授するシーンで、主人公の剣心は、死を覚悟しながらこの奥義伝授に挑みます。お互いに剣を交えようとした瞬間、剣心の脳裏に幼少期のある情景が思い浮かびます。

それは、コレラで親を亡くした剣心(幼少期の名は心太)が、人買いとして生活していたある時、山賊に襲われ次々と人が殺されていきます。

「男の子は俺一人だったし、どうせ親はいないから、命を捨てても守らなきゃって思ったんだ。」と心に決めた剣心が、山賊に立ち向かおうとしたその時、一人の女性に引き戻されます。

「心太。あんたは生きることだけ考えて。あんたはまだ小さいから、私たちみたいに自分で生き方を選ぶことはできないの。だからせめて生き方を一人で選ぶことができるまでは、生きなきゃダメなの。」

そのことが脳裏に浮かんだ剣心は、大切な人たちを守るために生きることを選択し、見事奥義を伝授することができます。

 

女性が剣心をかばった時に「あなたは生きなきゃいけない」と断定しているのではなく、「生き方を一人で選ぶことができるまでは」と自ら生き方を選択できるようになるまでと限定した発言をしています。

生きることが最優先であることを前提として、もしも生死を分ける場面に立った時、他人を犠牲にして自分の命を守るのか、自分を犠牲にして他人の命を守るのかどちらが正しい選択なのかは難しい問題です。この女性は、剣心をかばうために自分の死を選択しており、剣心も同様に自分を犠牲にすることを選択しますが、それを止められてしまいます。

 

私は、生か死の結果が重要なのではなく、その結果に辿り着くまでの過程が大切だと感じています。自分で納得いく理由で選択すれば、それで生じた結果は最善であり、正解不正解はありません。もしも、この女性が自分の命の方が大切だと判断し、剣心を止めなかったとしてもこの選択は間違っていないと思います。しかし、まだ幼い剣心は、生と死を天秤にかけて選択する思考力が備わってなく、死という1択で行動していました。だから止められたのだと思います。

奥義取得直前までの剣心は、自分を犠牲にして他人を守るという「死」の1択しか持ち合わせていませんでしたが、幼少期のことを思い出し「生」という選択肢を増やすことができました。そして、最終的に大切な人を守るために生きることを選択したのです。

 

 

Anything goes

今回は、"Anything goes"という言葉について考えていきます。

"Anything goes"とは、「なんでもあり(なんでもかまわない)」という意味で、ファイヤアーベントという哲学者の言葉です。

ファイヤアーベントは科学こそ絶対的なもので、宗教や占いなどの非科学的ものを批判する風潮に疑問を投げかけています。

科学的根拠(エビデンス)が重視される現代社会では、感覚的にいいと思うこと(非科学)は信用されません。しかし、科学は帰納法を用いた方法の一つに過ぎず絶対的な存在ではないのです。帰納法とは、個別から法則を導くものです。例えば、世界中の白鳥を観測した時に全て白色だったので、「白鳥は白色である」という法則が導き出せます。しかし、黒い白鳥が存在することがわかったら、この法則は成り立たなくなってしまいます。私たちが信じている科学は過去の出来事を保証してくれるものですが、未来まで保証してくれるものではありません。

私たちの生活にも非科学的であるものを信じていることが多くあります。例えば、幽霊の存在は科学的に存在が証明されていませんが、多くの人が幽霊を怖がります。また、占いも非科学的ですが、科学的な説明よりも占いを信じる人がいます。アメリカでは、人類の誕生は聖書の「創世記」に書かれているように神が作ったと信じている人が多く、ダーウィンの「進化論」を学校で習わないところもあります。創世記に書かれている内容は非科学的です。しかし、科学的じゃないからといって無理やり進化論を信じるように強要してもいいのでしょうか。

時々、芸能人がある宗教団体に所属し洗脳されたという話を聞きますが、私たちが非科学的なものを批判して排除しようとするならば、科学教という宗教に洗脳されている可能性があります。科学教に洗脳されると、科学こそが全てであり、それ以外のものを排除することに疑問を持ちません。そのため、非科学的な考えを持つ人を批判してもそれを悪いことだとは思わないのです。

ファイヤアーベントは科学を批判しているように思うかもしれませんが、決してそうではありません。彼が言いたいことは、科学という1つの方法にとらわれていては自由ではないということです。私がこうしてブログを書けるのも科学の賜物であり、日々の生活は科学なしでは成り立ちません。科学と非科学に優劣をつけるのではなく、同列のものとして考えて、時と場合により非科学的な考え方も取り入れるという自由な思考が大切です。"Anything goes"は、そのことを気づかせてくれます。

 

はじめに

このブログでは、「自由とは何か」について色々な側面から考えていきます。

自由と聞くと、働かずに一生遊んで暮らせることを想像する人もいるかもしれませんが果たしてそれが本当の自由なのでしょうか。

本当の自由を求めて、今後もブログを読んでいただけると幸いです。